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韓国・慶州ナザレ園 一食事業視察のご報告
Apr 13, 2024
こんにちは、一食事務局です。
3月26日(火)~29日(金)にかけて、韓国にある慶州ナザレ園に事業視察に行って参りましたので、今回は視察で見てきたことを中心に報告します。
1945年の日本敗戦を期に、満州や当時日本の植民地だった朝鮮から大量の日本人が帰国しましたが、朝鮮の男性と婚姻関係にあった日本人女性は帰国せず残留した方もたくさんいました。しかし中には、終戦後の韓国の強い反日感情にさらされ日本人であることを隠して生きてきた方や、日本人を妻にしていることに耐えかねた夫に出ていくよう強いられた方、その後の朝鮮戦争で夫を亡くし困窮するなど、過酷な状況に置かれた方々がいました。生活も過酷で、近隣の農家を手伝い、僅かな収入を糧に必死に生計を立てている方や、物乞いのような生活を送る方など、言葉で言い表せないような苦労を重ねられていた方が多数いたそうです。
その女性たちの帰国援助の一環で一時避難所としてできたのが、今回訪問した慶州ナザレ園でした。帰国に際し、日本に身元引受人がいない方や、日本の家族から引き取りを拒否されてしまった方が、そのまま残り、やがてナザレ園は身寄りがなく高齢となった日本人女性のための保護施設となり、現在まで続いています。
収容可能人数は24名程度で、活動が始まった当初は常に満員。入所待ちの方が数十名おられるような状態でしたが、時の流れと共に入園者はお亡くなりになり、入園している人数も減っていきました。また、家族がいるものの困窮している方々は居宅援助者として、援助金を受け取っていますが、入園者と同様に高齢となり人数も減っています。現在、ナザレ園に入園されている方の平均年齢は98歳で、2名(1名は入院中)が入園、居宅援助者が1名(入院中)という状況です。実際にお会いできた1名(大吉マツさん:98歳)は鹿児島出身の方で、私たちとお会いした際は、元気に歌を披露してくださいました。
在園者 (大吉マツさん:98歳)
事業視察として、施設の確認や園長先生、スタッフさんにインタビューをしたほか、今後の事業の運営や支援のあり方についての協議の時間を持ちました。
行程中で一番印象に残ったのは、園長である宋 美虎(ソン・ミホ)さんにお話をお伺いする中で感じた、事業に対する想いとそのお人柄でした。
慶州ナザレ園 園長 宋美虎(ソン・ミホ)
宋先生は30代の頃ボランティアとしてナザレ園にやってきて、やがて職員となるのですが、現在に至るまでの40年余りもの期間をずっと無給で入園されているおばあさん達に奉仕を続けてこられました。また歴史的な視点からしても、韓国人である宋先生が、日本人の世話をするということに抵抗感などなかったのかと伺いましたが、「そんなことはありません。」と笑顔でおっしゃいます。「では、その原動力はどこからくるのか?」と問うと、キリスト教の教えを信じ切っていて、それに従って動いているだけだと言います。「日本人も韓国人も、同じ人間であり違いはない」という教えを元に、無償の愛をもっておばあさん達を家族だと思って接しているとのことでした。これは、創設者の金龍成(キム・ヨンソン)氏の考えにも通ずるものです。金先生はかつて日本軍に両親を撲殺されるという過去を持っていましたが、「同胞の韓国人を愛し海を渡ってきた日本人をどうして見捨てることができようか」と、残留日本人女性のために生涯を捧げた方でした。やがてその姿に感銘を受けボランティアとしてやってきたのが現在の宋先生でした。
宋先生が在園者の方とのふれあいで大切にしていることは、これまでたくさん心の傷を負ってきたおばあさんたちが、少しでも楽しく幸せに最期を迎えられるよう、どんな些細なことでも気を配って尽くしていることだと伺いました。
宋先生が園長となり、おばあさんに対して「帰国を望めばいつでも帰してあげられる」と言っても、おばあさんからの返事は『私にとってはここが天国。そのお金があったらおいしいものが食べたい』という返事が返ってくるそうです。おばあさんたちにとっても、ナザレ園が心穏やかにいられる安住の地となっている様子が伺えました。
金龍成先生建立の納骨堂 周囲には桜が植えられ、日本の方角を向いている
日本でも「見返りを求めず他に尽くす生き方」が美徳とされ実践されている方もいますが、ここまで体現されている方に出会ったのは初めてでした。
現在、在園者・居宅援助者共にわずかな人数となっていますが、一食平和基金からは、最後のお一人が天国に旅立つまで、支援を継続するという方向性を改めてお約束し、日本に帰国しました。
ナザレ園のおばあさん達、そして宋先生やスタッフのみなさんの幸せを日本から念じ、支援を継続したいと思います。
ありがとうございました。