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福島復興支援事業 事業視察に行ってきました!
Feb 14, 2024
みなさん、こんにちは!一食平和基金事務局です。
1月30日に「一食福島復興・被災者支援事業」の視察に行ってきましたので、その様子をご報告いたします。
事業運営で連携をしている「うつくしまNPOネットワーク」の案内のもと、支援先団体である「富岡町3.11を語る会」を訪れました。
同団体は、3.11発災時の富岡町で起こっていた町民のリアルを、語り人(べ)として口演して回ることを主として活動されています。代表の青木淑子さんは、富岡高等学校の元校長先生です。青木さんは、当時の町の様子や避難する方々のことを細かく教えてくださいました。
(教えていただいたこと)
発災当時、富岡町の人口は約15,000人でしたが、福島第一原発の事故により避難指示が出され、全町民が近隣の市町村へ避難することに。通常なら車で片道50分程度の道を、9時間もかけて避難したそうです。人々はみな(2~3日で戻れるだろう)と思っていたため、最低限の荷物しか持たずにそれぞれの自宅を後にしたそうです。避難先で自宅には戻れないことを初めて知ったということでした。
こうして富岡町は津波の被害もあったものの、原発による影響の方が大きく、町民の生活は一変してしまいました。
2017年には居住制限、避難指示解除準備両区域が解除されて町全体の約9割が居住可能となり、住民の帰還が始まりました。しかし、避難生活の始まった2011年からの6年間の間に、避難者はそれぞれの避難先で生活基盤ができていました。生活の糧を得るため仕事をする方もいれば、お子さんが小学校へ通い始める家庭もあります。とりわけ高齢者は長年慣れ親しんだ故郷へ帰りたい想いが強いそうですが、若夫婦が帰らないと決めてしまうと、断念せざるをえないことが多いとのこと。そうした事情の中で避難指示は解除されたものの、帰るに帰れない方が大勢いらっしゃるのが実情です。
2024年現在、人口は約11,000人だそうですが、避難している方も含まれており、実際に居住している方は2300人程度で、復興事業などによる仕事で移住した方なども含めての数値のため、実際にはもっと少ないそうです。
実際に町並みを拝見すると、家を取り壊し更地になっている場所や、綺麗に整備だけされて売りに出されている家屋が多く、人の気配の無さが印象に残りました。震災から13年目を迎えようとしている福島ですが、復興にはまだまだ時間がかかるということを肌で感じさせていただきました。
2015年より活動をスタートした青木さんは、被災者に寄り添い体験を共にする中で、「震災が奪ったものは何か?」を考えてこられました。出した答えは「人とのつながり」。活動を続ける中で、被災者同士のコミュニティやネットワークが出来つつあることを実感されていて、語り部としての活動の意義はここにあると確信し、精力的に活動を続けられています。
語り部の遠藤さんは当初、震災のことを語ると涙してしまって、語ることができなかったそうです。しかし、自分の経験が誰かの役に立つのであればとの思いから、今でも活動を続けていると仰っていました。
若手の語り部も参加するようになり、当時は子どもの視点で見ていた震災を語る活動をされています。また、対面形式だけでなくオンラインの口演も取り入れ、活動の幅が広がったこともお話しくださいました。
最後になりますが、一食平和基金としてみなさまからお預かりしている貴重なご浄財が、福島で被災された方々の精神的な支えとなり、役立てられていることを感じ取って帰ってくることができました。1日でも早い復興を祈りつつ、日々の実践に取りくませていただきたいと思います。
ありがとうございました。