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爆撃を逃れてクラクフ85番小学校に編入した子ども達
Jul 15, 2025
(背景)
2022年2月24日、ロシア軍のタンクが国境を越えて、ウクライナに侵攻しました。
ヨーロッパや東欧諸国に逃れたウクライナからの避難民は、ポーランドが最も多く、難民登録している人数は186万人、現在でも100万人は滞在しています。ウクライナ国境に近い、クラクフ市にも多くの難民が殺到しました。
ウクライナで生まれ、侵攻前からクラコフでスクールアシスタントとして働き、避難した子ども達と家族の面倒を見ているアンナ先生からのお手紙が届きました。
親愛なる皆様へ
ウクライナの避難家族の支援に心より感謝申し上げます。
皆様と私たちは何千キロも離れたところにいますが、皆様の心はとても近くに感じています。
皆様からの援助は、本当に支援が必要な家族に届いています。
バフムートの崩壊から逃れ、帰る場所を失ったソフィアちゃんの家族。
クルィヴィーイ・リフから避難して来たウリアナちゃんのお母さんは、
大きなストレスを背負い癌を患いました。
マリウポリの家が破壊されすべてを失ったキラちゃんは、
皆様の支援のおかげで生活必需品と安心感を得ることができました。
カホフカ出身のカティアちゃんのお兄さんは今も前線で戦っています。
今、この手紙を書きながら、改めて皆様の貴重な支援に深く感謝し感動しています。
多くの家族が同じような経緯でウクライナから避難し、人生は急転してしました。
でも、皆様からの支援のおかげで、ここクラクフで新しい生活を始めることができたのです。
皆様が私たちと共にいてくださることに、心から感謝しています。
85番小学校スクールアシスタント アンナ・バシャク
アンナ先生
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一食平和基金の支援を受けて「ポーランド、クラクフにおいて、ウクライナ避難民支援」事業を行った日本チェルノブイリ連帯基金の代表神谷さだ子です。
JCFは2024年3月のロシア軍侵攻当初から、ウクライナ西端の町ウジホロドを通過して、東欧諸国に避難するお母さんと子ども達、お年寄りに食糧や基本的な日用品支援をしてきました。それは、1991年からウクライナ、チェルノブイリ発電所の爆発事故によって放射能汚染されたベラルーシ・ロシア・ウクライナに友人が大勢いたからです。彼らと連絡を取り、ブルガリアのヴァルナ、ポーランドのクラクフ、そして、ウクライナ、ウジホロドの三カ所にたどり着いた避難民家族の支援を継続しています。
期間は2024年10月から2025年3月まで次のような活動を実施しました。 ポーランド、クラクフに避難し、85番小学校に編入している児童は約80~100人、児童とその家族が支援対象です。戦争が長期化し帰国できないまま、母親たちは自立を目指しますが、就労が困難で、低賃金で働いています。日本人現地スタッフ 宮永匡和さんと85番小学校のスクールアシスタント アンナ・パシャクさんの協力で、月に一回の食糧や生活用品の配布と必要な物を購入ができるように近くの大型ショッピングモールで使えるクーポン券を配布しました。また、爆撃を目の当たりにしたり、友達や親せきを失った子ども達の心を和らげるため課外授業のハイキング、まんが館(日本技術美術博物館)への招待費用などで応援しました。
ほとんどの家族は停戦に至れば、故郷に帰りたいと言いますが、2年前の訪問時にお話を聞くと「崩壊したウクライナにはもう戻りたくない」と語るお母さんもいました。辛さ、大変さを口に出さない子ども達を目の前にして、戦争、武力行使によって、友達しと遊び、家族とのどかに暮らしていた日常が突然奪われてしまった悲劇を思いました。と同時に、この状況で家族を支えるお母さんたちのたくましさはどこから来るのか、一人の母親の言葉はとても印象的でした。「この子の未来は私の手のひらにあります。」こう言って、右手を返す彼女は、3年前、小さな手荷物だけで国境を越えた。ポーランドで最初は首都ワルシャワに行ったが、知り合いが居たこの地に滞在することを決めたという。仕事も家も、故郷の思い出、すべてを奪われて、この地にいる。 宮永さんから送られてきた報告書に書かれていた言葉「子ども達の笑顔がお母さんたちの元気の基です」
国のかじ取りをする為政者たちの無謀な判断。今日もなお、ドローン攻撃で負傷者が出たとニュースが流れると戦闘地から遠く離れた日本にいるからできる事がある。やらなければならない事がある、と思います。
85番小学校の倉庫で冬服を受け取る
野外活動でスケートに行く