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紛争の経験を語る活動のご支援者の皆さまのおかげで、私の平和のメッセージを共有することができました!-イルザ・ナシルさんからのお手紙
Nov 01, 2025
パキスタンでは、青少年が平和について学び合い、何らかピースアクションを自身で発案・実施する活動を行っており、その一つとして、同国に逃れたアフガニスタン難民の女性たちが過酷な紛争の経験を語り、同国の女性たちにも伝えるアクションが実施されました。
実施青年の1人からのお手紙をお届けいたします。
涙…そして希望。
紛争の経験を語る活動(*)のご支援者の皆さまのおかげで、私の平和のメッセージを共有することができました!
親愛なる尊敬されるご支援者の皆さまへ。私の名前はイルザ・ナシルです。紛争の経験を語る活動への皆さまの寛大なご支援に心から感謝いたします。皆さまのおかげで、私は地域社会で、特に紛争によって深い喪失を経験したアフガニスダンの女性たちとともに、力強い平和のセッションを主導することができました。多くは夫、息子、兄弟を亡くしており、彼女たちの物語は苦痛と沈黙に満ちていました。
*お手紙原文では「ストーリーを語る社会アクションプロジェクト」(「社会アクションプロジェクト」とは青少年発案・実施のピースアクションのこと)
彼女たちの話を聞くことは、感情的で、困難でした。しかし、その悲しみの中に、私たちは強さを見出しました。私は耳を傾け、慰めの言葉をかけ、彼女たちがひとりではないこと、彼女たちの声が重要であることを思い出してもらいました。ゆっくりと、彼女たちの目に希望が戻るのを見ました。ともに、私たちは心の癒しを育み、意識付けをし、女性たちが声を上げる力づけをしました。
ハイバル・パシュトゥンフア州(**)でこの努力を主導するにあたっては、困難が伴いました。文化的な障壁と保守的な規範が、トラウマについてオープンに話すことを困難にしました。信頼を得るには時間がかかりましたが、忍耐と共感をもって、安全な空間をつくりました。
**活動実施州の名前
この旅は私に深く影響を与えました。より、思いやりがあるようになり、対処・回復力をもつようになり、平和をつくることに献身的になりました。皆さまのご支援は真の変化をつくりだしています。女性たちに癒しを、私たちのコミュニティに希望をもたらしているのです。私たちを信じてくださってありがとうございます。
感謝をこめて。
イルザ・ナシル
(SPADO(***)と平和村ユナイテッド平和プロジェクト参加者)
***現地パートナー団体の名前

アフガニスタン難民の女性たちが紛争の過酷な経験を語る
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《事業報告≫
一食平和基金さまのご支援をいただき、「平和にユナイト!パキスタンにおける青少年の地域平和活動とアフガニスタンとの連帯」の活動を実施いたしました平和村ユナイテッドの小野山です。ご支援に心より感謝申し上げます。
語られる悲痛な話に皆が心を揺さぶられました…何と酷い現実。上記のアクションは、アフガニスタンの女性自身から語られる過酷な経験から、紛争と暴力の破滅的な影響を知り、平和をつくるために青年たちが実施しました。平和がつくられなければならない。必ず。下記、このアクションについてご報告いたします。
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ある女性は、女性たちがいかにその権利を奪われたかを語った。教育、就労、医療保健へのアクセス… そして、娘の学校通学を許しているという理由で、夫がどのように目の前で殺害されたかを、涙ながらに語った。
また別の女性が自身の経験を語った。その女性の話は非常に悲痛なもので、皆が静かに座り、目に涙をためた。
「それはカブール陥落のほんの数週間前のことでした。私たちの村で激しい銃撃がありました。戦闘が行われ、弾丸が私たちの周り一面に降り注ぎました。子どもたちと私は恐怖におののき、家の隅に身を合い寄せました。そして、どこからともなく、流れ弾が一番下の子どもにあたりました。」
銃撃の間、いかに負傷した子どもを抱えて最寄りの病院に走って行ったかを語り、続けるうちに、女性の声はかすれ声になった。
しかし、その道中は危険に満ちていた。「夫は爆発物の爆発で1年前にすでに亡くなっていました。家に男性はいませんし、女性は男性の付き添いなしに家を出ることを禁じられていました。しかし、選択肢はありませんでした。子どもの命がかかっていました。銃撃はやみませんでした。通りを走り抜けているとき、また別の弾丸が長男の足にあたりました。何とか病院にたどり着くことを祈りながら、進み続けました。しかし、たどり着く前に、一番下の子どもは私の腕の中で亡くなりました。」
「その日の後、私たちはアフガニスタンにはいられないと分かりました。全てを残してきました。家、持ち物… そしてほかの2人の息子とともにパキスタンに逃れました。この地域に落ち着くまでは難民キャンプにいました。今、私は生活のために服の裁縫をし、息子たちは市場で野菜を売っています。」
女性の声は和らいだが、痛みはまだ激しいものだった。「小さな息子が毎日恋しいです。他の息子たちを見て、この息子たちが生きていることに感謝を感じています。でも、あの日の記憶が私に付きまとうのです。いかなる母親も意味のない戦争で撃たれた弾丸が理由で、子どもを埋葬することがあってはなりません。」
また別の女性は、息子を亡くした後に家族が直面した想像を絶する苦しみを語った。
語られる悲痛な話に皆が心を揺さぶられた。パキスタンの女性たちも、アフガニスタンの隣人たちが耐えた残虐なことと苦痛を聞き、涙を流した。
連帯の力強い瞬間が現れた。1人のパキスタンの女性が立ち上がり、銃撃で息子を失ったアフガニスタンの女性を抱きしめ、こういったのだ。「あなたは1人じゃない。私を姉妹と思って。この地域で私たちはいつもあなたのそばにいる。」
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アフガニスタン難民女性側のこうした経験を、受け入れのパキスタン側が深く理解できていないことも多いといいます。両国のコミュニティの間に緊張状態や対立が起こることもあります。そうした中でのこのアクション。参加者に深い共感と連帯をもたらしました。両国の人びととも紛争や暴力に苦しんでいます。ともに平和を!
重ねまして、こうした平和の活動を可能にしてくださった皆さまのご支援に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
