避難先で描いた絵が語る
Aug 10, 2023
一食平和基金の支援を受け、「ウクライナ避難民支援」をしている日本チェルノブイリ連帯基金の神谷 さだ子です。
ウクライナへのロシア軍の攻撃は停戦の見通しがないまま、続きます。ザポリージェ原発がロシア軍の支配下にある隣国ポーランドに核が配備されるというようなニュースが流れると、チェルノブイリ原発事故の放射能被災地で活動してきたJCF/日本チェルノブイリ連帯基金はとても心配になります。
2022年2月24日、ロシア軍のウクライナ侵攻のニュースを聞くやいなやチェルノブイリ支援で共に活動したロシア・ベラルーシ・ウクライナの人々がどうされているか、連絡を取りました。ウクライナの西端の街ウジホロドには、戦火を逃れて、子ども達の手を引き、大きな荷物を抱えたお母さんが、途中で車のガソリンが切れた、と言って歩いていました。ポーランドやハンガリー、ルーマニア等の東欧の国々に逃れるために、たくさんの人々がこの国境の町にを通過していきました。この街のカトリック教会と繋がったのは、イラク、クルド自治区アルビルに国内避難民として避難していたクリスチャンの医師の紹介でした。JCFの32年来のチェルノブイリ支援活動、イラク小児がん・白血病支援などの活動を通して知り合った人々との繋がりが、再びウクライナ危機に際して協力してくれたのです。
今回、一食平和基金の皆さんと共に、行いましたポーランドクラクフでの活動を担ってくれたのは、20年前にアウシュビッツを訪問したときに案内していただいた日本人画家宮永匡和さんです。一報で、クラクフにもたくさんの避難者来ています。クラクフの中央駅に到着すると、そこで避難民登録をし、とりあえずの落ち着く場所、食糧や生活物質の配給を受ける証明書を受け取ることができました。空き家の提供等を受け、一時はポーランドで400万人もの避難民を受け入れたそうです。ポーランドの人口が4,000万人ですから、その10分の一に当たる人口増加になったのです。今では、毎日のように2万にの人々が、住む家が残っている場合はウクライナに戻ったり、あらたに戦闘や。水害の影響でポーランドにやって来るそうです。
半年経った昨年の夏には、爆撃音が耳に残っていて、雷の音を聞いて、震え出す子がいる、との報告を受けました。緊急の食糧や生活用品支援に加えて、精神的なケアが必要です。幸いな事に、宮永さんの娘さんが通っている85番小学校では、地元のスーパーで避難したお母さん達が自分たちのほしい生鮮食品を買うためのクーポン券を購入するために校長先生が申込みをしてくれます。交流アシスタントとして、避難している子ども達やお母さん達の世話をしているアンナさんが、ピクニックや地元の子ども達と共にウクライナの子ども達にも修学旅行に参加する企画をしてくれました。85番小学校に編入した、85人の子ども達とその家族を様々な面でサポートしています。
宮永さんから届く週報には、たくさんの写真が送られてきます。子ども達の笑顔を見るとほっとします。そして、子ども達の元気がお母さん達を支えていると感想が付されていました。
戦争が長引き、先の見通しのない中で、お母さん達は支援品の供給より、自分たちで自立してくらしたいと願うようになっています。しかし、言葉の問題があります。子ども達の方が、地理的にも近く言語も似ているところが多いので、なじんでくるスピードが速いようです。ウクライナでの専門職が活かせない。安心して住める住居が必要、との願いは冬に入った頃から、よく聞かれるようになりました。
日本から、就労や住居の支援はとても難しい。私たちがこれからできる事は何だろうと考えていた矢先でした。ウクライナから避難していた女性達が各学校で交流アシスタントとして働いていました。もちろん各地域での子どもと家族のケアを担っています。彼女たちの交流会が企画されました。
今後は、長期戦に向けて、ニーズを探り、応援して行きたいと思います。まだまだ、日本からできる平和を願っての活動が必要です。
子ども達の言葉です。
「平和は、生まれ育った所に戻り、普通に暮らすことです。」