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遠く離れた国でも、見過ごせない気持ちを届けて
Nov 24, 2022
一食平和基金と合同で、「南スーダン緊急支援」を実施している日本国際ボランティアセンター(JVC)の今井高樹です。
- 「世界でいちばん新しい国」の現実
南スーダンは2011年に独立した「世界でいちばん新しい国」(最新の国連加盟国)です。ナイル川が国の中央を流れ雨期には緑が広がる土地に、固有の言語や文化を持つ多くの民族が暮らしています。
独立した喜びもつかの間、2013年に内戦が起きました。2018年の和平合意後も地域的な武力衝突は収まらず、2019年からは3年続きの洪水にも見舞われました。国内外で避難生活を送る人は今も400万人、国民の3人に1人に及びます。
JVCはこの国で避難民や難民への支援を実施してきました。
今年4月、私を含めJVCスタッフ2名が今後の活動に向けた現地調査に入ることになり、訪問先をナイル川沿いのユニティ州レール地区に定めました。トウモロコシや落花生などの栽培とウシ牧畜、漁労が盛んな地域で、内戦の影響を大きく受けた場所でもあります。
訪問しようとした矢先、そのレールで大変な事態が起きました。4月上旬に武装グループ間の衝突が発生し、続いて村落部への大規模な襲撃が行われたのです。数日間で地区のほぼすべての村々が焼かれ、8万人以上が避難民になりました。
あまりの事態を前に私たちはいったん訪問をあきらめかけました。しかし、そのような時こそ現地を見るべきだと思い直しました。訪問予定を1週間延期し、戦闘が落ち着いた4月下旬に現地に入りました。
- 避難民の声を聞く
いくつもの紛争地を訪れてきましたが、襲撃の直後に現場に入ったのは初めてのことでした。道路沿いに焼き払われた家々が続き、略奪された国連の食料倉庫は切り裂かれたテントが無残な姿をさらしていました。何万人もの避難民が集まる場所では、文字通り雨ざらしで生活する家族の姿がありました。
言葉を失う状況を前に「いったい自分たちに何ができるのだろうか」という気持ちと葛藤しながら、私たちは避難民への聞き取りを重ねました。いきなり訪問したヨソ者につらい経験を話してくれた方々には感謝するほかありません。
「村を襲った男たちは家々に火をつけ、隠れていた人が外に出てくると殺すかレイプした。7歳の少女も集団レイプされた」「過去の襲撃よりも残忍で、村では4人が首を切られた。5歳の子どもと祖母が家の中で焼かれた」
襲撃の様子です。逃げ延びた人びとも、家の貯蔵食料や家畜をすべて失いました。避難民の約半数、4万人がレール中心部に押し寄せ草木やビニールシートで囲った仮の家で生活していましたが、深刻な食糧難に襲われていました。
「遠くまで薪拾いに出かけ、それを市場で売るのが唯一の収入。売れなければ何も食べるものがない」「沼地で掘り出したハスの根っこを食べてしのいでいる」「木の枝で骨組みを作り、分けてもらったビニールシートで小屋を造り暮らしている。雨が降ったらビニールシートが全然足りない」
国連などの支援は避難民の数に対して全く不十分です。そもそもウクライナに国際支援が集中しているため、南スーダンでの資金が不足しているのです。
襲撃事件の背景について、避難民リーダーたちは南スーダンのある有力政治家の出身地がレールであることが関係していると話していました。
「これは首都の政治家の争いが原因だ。そのために、どうして自分たちが殺されなくてはならないのか」
- ようやく人びとの手に届いた支援
私は日本に戻りましたが、この現実を見過ごすことはできませんでした。現地で案内役をお願いした南スーダンのNGO、Mobile Humanitarian Agency(MHA)からも、支援活動をするなら是非協力したいとの申し入れがありました。
そこで一食平和基金さんにご相談し、合同で緊急支援を実施することを決めました。現地での活動を担当するMHAと協議を重ね、国連が主に担当する食料ではなく、雨期を迎えて風雨をしのぐために必要性が高まるビニールシートを500家族に支援することを決定しました。
支援物資を届けるまでには予想外の困難が待ち受けていました。首都で調達したビニールシートをナイル川の貨物船で運ぶのですが、折からの燃料費の高騰でなかなか出航せず、予定より2週間遅れて8月8日にレール近くの港に到着。既に雨期のため道路は冠水しており、避難民地区までは現地で使われている丸木舟で運ぶことになりました。
最終的に8月12日から20日にかけて、4か所の避難民地区で子どもだけの世帯、女性と子どもの世帯、高齢者世帯を中心に500家族に配布することができました。
配布場所では多くの家族が「雨が多くなるこの時期に本当にありがたい」と口にしながら受け取っていきました。避難民リーダーからは「自分たちのことを忘れずに支援してもらえたことがうれしい。日本の皆さんに感謝したい」とのメッセージが寄せられました。
人びとが元の村に帰れる目途はまだ立ちませんが、引き続き、現地の様子を見守っていきます。