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在韓日本人女性の保護事業
慶州ナザレ園では、韓国で生きることを選んだ日本人女性7名が暮らしています。平均年齢は95歳(2019年12月時点)、ほぼ半数の方が寝たきりで、元気な方は年々減ってきています。入園されている方は、食事以外の時間はテレビで日本の番組を見たり、食堂に集まって花札で遊んだり、お風呂に入ったり、それぞれ自由に過ごしています。
新年会やお花見など、園の皆さんが集まって楽しく過ごせるような行事も行われており、また医療の面では、地域の大学病院や保健省と連携し、入園者が年に1回の健康診断、診察を受け、通院、入院できるようにしています。
このほか、ナザレ園は入園できない方の家を訪問し、生活費の補助を行っています。
背景
20世紀に入った頃から日本は軍事力を背景に朝鮮半島に進出し、1910年に韓国を併合、1945年まで朝鮮半島を日本の支配下に置きました。その間、何千人もの日本人女性が韓国人男性と結婚し、第二次世界大戦の前後に夫とともに韓国にわたりました。
終戦後の韓国で、日本人女性は慣れない言葉や文化の違いに加え、反日感情による差別に苦しみました。さらに、1950~53年に起きた朝鮮戦争で夫や子どもを亡くしたり、生き別れになる女性も少なくありませんでした。
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その後、1965年に国交が回復し、1969年から日本人の帰国援助事業が進められましたが、日本国籍を取得できない、日本の家族から受入を拒否されたなどの理由により、帰国できなかった女性が約2000人もいたといわれます。
こうした中、「慶州ナザレ園」(1972年設立)は韓国に残った日本人女性の生活保護を行ってきました。創設者の故・金龍成(キム・ヨンソン)氏は敬虔なクリスチャンで、抗日運動をしていた父親が日本の警察に刑務所で殺害されたという背景を持ちながらも、私財を投じて日本人女性を支援。ナザレ園での生活保護活動だけでなく帰国支援にも尽力し、1982年までに147人の女性を日本に帰国させました。
受益者の声
ナザレ園園長 宋 美虎さん
宋 美虎(ソン・ミホ)さん(ナザレ園園長)
韓国にいるおばあさん達は、自分の国が36年間、韓国でひどいことをしてきたことを知っています。ですから、朝のお祈りの時に、私はおばあさんたちに伝えます。「おばあさん達は日本と韓国の架け橋となる役割を担ってここにいるのです。おばあさん達が韓国にいなかったら、日本人はここには来ていない。おばあさん達がいるから金先生のことや日韓の歴史が分かり、伝わっていきます。神さまが選んだ方だからこそ、ここにいます。だから、おばあさん達には安心して生きる権利があるのです」と。
桂シヅエさん
桂シヅエさん(97歳)
札幌出身です。26歳の時に、夫と一緒に韓国に移りました。4月24日、札幌から江別に行き、そこから函館まで汽車で1日、さらに青森、大阪、博多まで1週間ほどかかりました。夫は、鉄道の技術者でした。
私が韓国に行くことを両親に伝えると、父親は、親子の縁を切る、そして、以後、日本に親がいることを他言しないようにと言いました。
韓国では、ソウルで20年ほど生活していました。農業で生計を立てていました。韓国の人は心があたたかい。日本人は心が冷たい。韓国の人は、農作業をしていて休憩を取る時には、「こっちに来て一緒に食べなさい」と声をかけてくれる。
今は、江別で暮らしていた両親も、兄も二人の妹も亡くなりました。生きているのは私だけです。ナザレ園に入ったのは11年前です。宋先生のおかげで、安心して、楽しく生活することができています。毎朝、食堂で行われるお祈りにも参加しています。お祈りでは、「私の体を健康にしてください」と祈っています。